2015年10月27日

第五十六首 たらちねの

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母はもうすぐ米寿を迎えますが、好きな本などを読みながら、今日も明日も、そしていつまでも元気でいてほしいものです。

米寿のお祝いに肖像画を油絵で描きました。65歳の時の小さな写真をもとに等身大に描いたものです。全くの素人にしては上出来だと自負していますが、もちろん母も喜んでくれました。
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65歳の時の母
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第五十五首 元気よと

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「元気よ」と母はいつも電話口ではしゃいで見せますが、わかっているんです。心配かけまいと嘘をついていることが、もう米寿ですから。
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第五十四首 米寿なる

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いわき市にひとりで住んでいる本家の母も米寿になりますので、元気かどうかとても気になります。離れていては様子を見に行くこともままならず、何かと用事を見つけては長距離電話をしてみるこのごろです。
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第五十三首 母米寿

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米寿を迎える母がしみじみ語る人生は、波乱に富んでいて、冒険小説を読むよりも興味深いです。
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第五十二首 荒海を

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荒海を乗り越えるような苦労を何度もしてきた母も、早いもので米寿を迎えようとしていますが、今なお本を読んだりして向上心を失っていません。
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第五十一首 ひそやかに

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本年の歌会始めの課題は「本(又は文)」でした。また、本年はKen-Gの母は88歳の米寿を迎えました。そこでこの「本(または文)」と「米寿」の2語を詠み込んだ短歌をいくつか詠んでみましたので、これからアップいたします。

福島県いわき市で、ひとりひっそりと好きな本などを読みながら余生を過ごしている母は、健やかに米寿を迎えています。
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2014年02月22日

第五十首 五階に避難し

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これもどうしてそうなったか思い出せないくらい昔のことですので、かなり若かった頃に違いありません。Ken爺は他の数人の同僚と共に孤立し、ビルの5階に避難していました。

5階の窓のすぐ下まで水が来ており、水があたりの景色をすべて覆い尽くし、はるか彼方の水平線まで海のように続いています。幸い水位の上昇は止まりましたので、あとは救助の船が来るのを待つだけです。とは言え、全く泳げないKen爺はちゃんと救助されるまでは安心出来ません、窓にかじりついて救助を待っていました。

ふと気がつくと水平線が少し傾いているように見えます。はじめは気のせいかと思いましたが確かに傾いています。その上なんと、傾斜角度が少しずつ大きくなって行くではありませんか。そうです。水の中に孤立して立っているこのビルが倒れ始めているのです。もう右端のガラス窓は斜めに半分水没し、全部水没した途端にバンと音を立てて外れ、大量の水がドッと部屋に流れ込んで来ました。

残りのガラス窓も次々と水没しながら外れ、あっという間に5階の部屋は傾きながら水没して行きました。Ken爺はおぼれる寸前です。アゴまで水につかりながら、もう使い古して効き目がありそうもない神頼みを何度も繰り返していました。「一生のお願いです。どうかこれが夢でありますように!」

さて、前々回、前回、そして今回の3回にわたるKen爺の神頼みはどのようにして叶えられたのでしょうか。

実は、この3つに関しては、さすがに神様も手の施しようがなく、救助は不可能でした。しかしKen爺は、死んだ訳でもなければ、会社をクビになったりもしませんでした。実はこの3つの事件は夢だったのです。それも最近見た・・・。

な〜んだ、などとがっかりしないでください。Ken爺は知っているのです。このとてもリアルな3つの夢が本当は実在した出来事であると言う秘密を。

手の施しようがなくなった神様は苦肉の策で、時間を少し遡って、無かったことにしてくれたのです。もちろんKen爺の記憶からも削除されました。でも一度発生してしまったことは全くなかったことにすることは出来ないのでしょう、実際の作業としては、その出来事を切り取って、Ken爺の未来の「夢」のフォルダの中にドラッグ&ドロップするという形で処理してくれたのでした。

このようなタイプの夢を時々見るようになったのは60歳を過ぎてからです。決まってKen爺が若い時のことで、危険にさらされていて、あわや!! と言う時に目が覚めるパターンです。今後も見ることと思いますが、それはみんな過去に実在した出来事であり、神様が一旦削除して夢処理をしてくれた出来事と思って間違いありません。

皆さんもこのようなリアルな夢、一度ならず見たことがあるのでは・・・・・?
posted by Ken-G at 17:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第四十九首 空港抜け出し

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アメリカのどの街であったか覚えていないくらい昔ですから、Ken爺はずいぶん若かったころと思われます。大型ツアーで添乗員も5〜6名付いて、旅も大詰め、帰国するフライトに乗り込む最後の空港での出来事でした。

空港には早めに着いてしまったので一旦、団を解散し、自由行動にすることになりました。添乗員達も同様ですが、その時Ken爺は実は、歩いても30分で往復出来そうな空港近くのホテルに忘れ物をしてきた事を思い出していました。

直線距離を歩けばほんの数分でホテルに行けるはずですので、Ken爺は同僚の添乗員には特になにも告げずに行ってくることにしました。書類の入った鞄もコインロッカーに預け、身軽なからだで抜け出しました。そもそもこれが大きな間違いでした。

さて、なぜか行けども行けどもホテルがありません。そういえばKen爺は方向音痴でした。どうやら完全に迷ってしまったようです。タクシーで行こうにもホテルの名前を覚えていません。鞄は空港のロッカーです。それに流しのタクシーなどはなさそうです。あたりには聞けそうな人影もないまま時間は情け容赦なく過ぎていきます。そしてとうとう集合時間が来てしまいました。

今頃はKen爺がいないので問題になっているはずです。今のように携帯電話などはもっていませんので、連絡の取りようもありません。おそらく団はKen爺をのこしたまま帰国のフライトで立つハズで、最終的にはKen爺は不始末の責任を取らされて何らかの処分をされることになるのでしょう。ついそんなことが頭をかすめました。

あたりはとっぷりと日が暮れて、家々には明かりがともり始めています。さらに悪いことに小雨がちらついてきました。遠くで雷も鳴っているようです。今ではもう空港とか団とか日本への帰国どころではありません。民家に入って事情を話し、大使館へ連絡をとってもらうなど、差し迫った問題解決が先決です。それにしても自分を証明するものを何も持っていません。ここはアメリカです。個人宅の庭に入っただけで怪しまれて撃ち殺される事件もあった事が思い出されます。

いよいよ大粒の雨が降ってきました。ゴロゴロと雷も鳴っています。絶体絶命です。これが夢であったらどんなにいいでしょう。神様!

さて、前回に引き続き今回も回答は持ち越しです。解決パターンが次回とも共通していますので、次回で一括してご紹介させていただきます。
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2013年09月14日

第四十八首 傾く鉄塔

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昔々のことですのでどうしてそうなったのかは覚えていませんが、Ken爺はなぜか電線をつないでいる鉄塔の最先端に取り残されてしがみついていました。まわりは美しく紅葉した山々で、真下は川です。いつかは誰かに気がついてもらい、助けてもらえると思っていたのでしょうか、あまり焦りもせずゆったり構えていました。

ところがです。気のせいか周りの景色がグラッと揺れたような気がしました。めまいがしたのかなとも思いましたがどうもそうではないようです。もう一度集中して見てみましたが確かに少しずつ動いています。これはもしかすると・・・・。

そうです。なんと、しがみついている鉄塔が少しずつ傾いているではありませんか。始めはゆっくりと気がつかないくらいの速さでしたが、一旦気がついてみるとその傾き方は加速度的に早くなり、ヤバイと思ったときにはもう一気に倒れて行きます。

さっきまで遙か真下に美しく見えていた山々の紅葉ももう目の前に迫って来ました。まもなくこの紅葉の中に突っ込みますので、地面にたたきつけられる前に何とか手を伸ばしてその枝に乗り移るしかありません。そんなシーンはテレビや映画などでは見かけたことはありますがますが、本当に可能なのでしょうか。でももう考えている時間は有りません。咄嗟に思いっきり手を伸ばしました。その途端、木々の枝や葉が次々と顔に当たり、ひっかいて行くのがわかります。次第々々にその痛さが耐えられなくなって、気分も朦朧としてきて・・・・。神様!これ、夢でありますように!

さて、Ken爺の神様はどのようにして救ってくれたのでしょうか。実は次の短歌(狂歌?)と共通の方法で神様は対応してくれましたので、次回に併せて回答することにいたします。
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第四十七首 大相撲香港場所

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Ken爺が香港勤務の時、会社が「大相撲香港場所」のイベント運行を受託したものですからたまりません。実務の責任者として対応することになるKen爺はその1年前からもう、考えただけで頭が痛くなり、身の細る思いでした。心配事は数限りなくあります。

ホテルの厨房は果たして力士が満足するご飯が炊けるかどうか、から始まり、おおざっぱで無神経な香港人観光ガイド(失礼!)が力士に対して細やかな気配りが出来るかどうか、や、バスの乗り口は力士が通れるのか、ホテルのベッドは大丈夫か、エスカレータやエレベータは力士何人が限度か、などなど。運行についても何度もシュミレーションをして予行演習を重ねても心配の種は尽きず、不安はつのるばかりです。最後はもう神頼みしかありません。神様、どうか何事もなく無事終了することが出来ますように。

手違い1:空港出迎えのバスが来ない。
当時、啓徳空港では出迎えのバスはターミナルビルに横付け出来ない規則でしたので、到着のお客様が入国手続きを終えてビルから出て来てから、近くの駐車場に待機しているバスを無線で呼び出す仕組みでした。ところが今回は、力士をビルの外の暑さと排気ガスの中で待たせておくことは出来ませんので、バスが出口前に来るぎりぎりまで、税関検査直後のスペースでお待ちいただくことにしていました。ところが、無線で呼び出したバスは渋滞に巻き込まれ、いくら待っても来ません。関係者一同、ハラハラどきどきでしたが、一番困ったのは、税関検査台で力士を出迎え、バスまで誘導する役割を担っていた若手社員M氏でした。「これ以上力士をお待たせすることは出来ません! もう限界です! あぁ〜 皆さん勝手に出はじめましたっ!」と、無線で言ってきた時です。バスがスッと入ってきたのは。危ういところで難なきを得ましたが、この時のM氏、ほとんど泣きそうになっていたそうです。

手違い2:ホテルチェックインを受け持つKen爺に連絡が来ない。
Ken爺はホテルで待機し、力士が空港からバスでホテルに向かって出発したら一報が入る事になっていました。この一報が入り次第、Ken爺はホテルの責任者に指示を出し、スタッフ一同がホテルの入り口に勢揃いし、到着力士をお出迎えする手筈でした。ところが空港での際どい出来事があったせいで連絡担当者が連絡を失念し、この一報が入りません。その時「もう、担当者から連絡が入っているとは思いますが、念のためお知らせします。力士ご一行は空港を出、そろそろホテルに着く頃です」と一報をくれたのはなんと、隣りの部のS部長でした。もう着くころとのこと、Ken爺は心臓が口から飛び出るほど驚き、焦りました。即座にホテルに指示を出し、ホテル従業員一同あたふたとロビーに勢揃いしたところにバスがスッと入って来ました。ここでもあわやと言うところで難なきを得ましたが、スタートからしてこのような具合でしたからあとは推して知るべしです。

てな具合で、数え上げたらきりがないくらいハプニングがありました。春日の親方の乗るバスに付けたガイドが緊張のあまり、なんと親方を「カスガノオヤジ」と呼んでしまい(なまじ漢字が読めるのでかえってこのようなミスが起るのです)ハラハラしましたが、さすが親方、笑って聞き流してくれた事(かわいい美人ガイドをアサインして正解でした)。携帯電話と無線機の両方を肌身離さず持って行動していたM氏が真夜中にシャワーを浴びていた時、棚においた携帯が突然鳴り出したので、緊張のあまり咄嗟にシャワーを携帯と間違えて耳に当ててしまい、耳の中にお湯がザブザブ入ってしまった事など。

どのハプニングも大きな問題にはならずなんとか無事、イベントを終了することが出来ました。神様のみならず多くの方に助けていただいたお陰です。例えば前述のS部長です。いよいよ力士が到着する1週間くらい前になった時、緊張で夜も眠れないくらいのKen爺にアドバイスしてくれました。「昔、心配事があって大きな不安を抱えていたとき、おばあちゃんが教えてくれました。所詮、人間がしでかしたことは人間の中でなんとか丸く収るものだ。気持ちを楽に持ちなさい、と」。

このS部長のアドバイスがあの時のKen爺の心に一番深く染み込んで来ました。そして到着当日のあの一報、とてもありがたかったです。あとでゆっくりとお礼を言おうと思っていながらつい、機会を逸して今日に至っています。
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2013年09月13日

第四十六首 ブラッセル

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Ken爺が20代後半の頃でした。冬のヨーロッパの空港が軒並み凍結して、着陸不能になることがあるのはもうおなじみの事で、驚く人もいないと思いますが、旅行関係業者にとっては大変な出来事なのです。

欧州添乗が初めてのKen爺は、到着予定のパリ、ドゴール空港が凍結して着陸出来ず、ベルギーのブラッセルに着陸する旨、機内アナウンスで告げられた時、正直、事の深刻さを充分には理解していませんでした。航空会社が何とかしてくれるだろうと・・・。ところがそこにはKen爺にとってはつらい悪夢が待ち受けていました。

予定の現地旅行代理店のところまでたどり着いていないわけですから、航空会社だけが頼りです。当然ですがブラッセルの空港着後、ロビーで待たされている間、エアフランスはフル回転で乗客への代替便確保に奔走していました。

ところが航空会社はファーストクラス乗客から対応して行くので、我々団体客はずっとずっと後回し、同じ団体客でも白人のグループはアジア人よりも早く応対してもらっています。まして日本からの団体客は相手の苦労も慮って、じっと大人しく耐えています。一方、相手の立場を思いやっていてはネゴーシエーションにならないことを本能的に知っている白人は、ガンガンと相手を責め立て、なにがしかの代替案をもぎ取っては、次々と消えていきます。

大人しいとは言え、後回しにされるお客様の悔しさは、ジワジワと添乗員に向けられて来るのはもはや時間の問題でした。そこで我々、日本からの添乗員は団結して交渉に当たることになりましたが、結局その日のうちに他都市に移動出来る代替便はもう無く、エアフラの手配で市内ホテルに1泊することになりました。

お客様をエアフラ手配のバスに乗せ込み、とりあえずホテルにチェックインするのと同時平行で、パリの旅行代理店へ国際電話で現状報告をし、日本の自社へもお客様の無事を一報するなど、同様のことに奔走する他社の添乗員と競いながら、公衆電話の確保、現地通貨コインの両替なども・・・、気の遠くなるほど多くの仕事を短時間でしなければなりませんでした。テキパキとやって当たり前、どれひとつ忘れても、後でマスコミに叩かれるネタになりがちです。他社の添乗員に見劣りしない為にも、ある程度のパフォーマンスも必要になります。経験豊かな年配の添乗員にとっては腕の見せどころですが、若いKen爺のような欧州初添にとってはまさに修羅場でした。

それでも何とか頑張って、他社に負けないくらいの勢いで順調にホテルで食事をとっていただき、一段落したころにはもう、クタクタに疲れていました。でも、まだまだその後の見通しを航空会社と交渉しながら関係各所に報告を続けなくてはなりませんので油断は出来ません。英語のあまり得意でない添乗員にとっては苦しいところですが、そこはKen爺には自信がありました。

ところがです。いくら頑張ってもどうしようもないことがあることがわかり、Ken爺は愕然としてしまいました。なんと、他のグループの添乗員は次々と、以前にこの地に訪れた経験を生かして、ホテル近辺にある、グランプラスとか小便小僧の像など、徒歩で行けるところにお客様を引率して観光に出かけるではありませんか。

Ken爺のお客様はそれを見ていて、今にも「我々も?」と言い出しそうです。Ken爺はガイドがいなくてはなにも出来ません。来るはずもなかったブラッセルですからガイドブックすら持って来ていません。絶体絶命です。神様、助けて!

さて、Ken爺の神様は今回、どのようにして助けてくれたのでしょうか。次の通りです。

●観光に出かけようとしている年配のベテラン添乗員の一人と目が合いました。その人の胸にはKen爺のと同じブランドのバッジが付いています。そうです、Ken爺と同じ会社の別の支店が集めたお客様のツアーでした。この人は社員ではなく、フリーのプロの添乗員でした。

●この人は職業柄、Ken爺が困っていることを一目で見抜いたのでしょう。この苦境を脱出するまでの間、ふたりで2つの団体を一緒にお世話しませんかと提案してくれました。もちろんこちらに異存はありません。さしあたり、この人が2つのグループを市内観光へご案内、そしてKen爺はホテルに残って航空会社との交渉を受け持つ事になりました。お客様も大喜びです。

まさに地獄に仏(いや神)でした。結局その後も飛行機は飛ばず、エアフラ仕立てのチャーターバスでパリまで行き、パリでの日程の一部をこなして帰国することになりましたが、イヤハヤ、今思い出しても手にジットリと汗を握る経験でした。その後、Ken爺は添乗で何度かブラッセルに行くことになりますが、その都度この苦労話をするとお客様は、真剣に耳を傾けてくれたものでした。今度は本物のベテラン添乗員・Ken爺のお話に・・・。
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2013年09月09日

第四十五首 ビザを紛失し

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中国に入国するときには、イミグレーションでビザ(入国査証)を二部提出し、入国のスタンプを押してもらい、一部を返してもらい、添乗員がそれを大切に保管し、出国の時にイミグレーションに提出するシステムになっています。

その日、Ken爺はお客様25人を引率し、予定通り北京空港で入国してそのまま市内観光に向かっていました。バスの中では観光ガイドがマイク握って説明を始めましたので、添乗員は一段落です。ほっと一息ついたところ、ふとあることに気がつきました。

入国した時に戻ってきたビザを、どこにしまったか記憶がありません。イミグレのあと、税関検査でそのビザを提示し、25人ひとかたまりで検査台を通過したまでは覚えていますが、その後、ビザをどうしたのか覚えていません。いったいどうしたのでしょうか。

まさかと思いましたが、書類入れを探しても見当たりません。上着のポケットにもありません。どうやらそのまさかのようです。どこかで紛失したようです。

出国時にビザが提示出来ない → 添乗員が別室に呼ばれて長々と尋問される → お客様は足止めを食って長い間待たされて・・・ と悪いことばかり浮かんできます。なんとしても事前に、お客様には知られずにこの問題を解決しなければなりません。 神様・・・・!

バスはまもなく最初の観光スポットである天安門広場に到着するところです。下車して観光しますが、その間を利用して何とかするしかありません。さて、Ken爺はどうして解決したでしょうか。

ここでも唯一、頼りになるのはやはりガイドでした。幸い中国では人件費が安いせいか、1本のツアーにチーフガイド、アシスタントガイド、写真屋・・と、立派な日本語を話すスタッフが数人付いて運行するのが通例ですので、その中の1人を確保して別行動に使ってもほとんどツアーの運行に支障は来しません。

「先々のフライトのリコンファームをしますが、中国では、電話などではなく直接航空会社に出向いて行わないと、予約を落とされることがあるので、今から行ってきます」と言う、まことしやかなKen爺の説明にお客様はすんなりと納得したようでした。

空港へ向かうタクシーの中、Ken爺の勝算は限りなくゼロに近いものでした。空港内で落としたのなら、一般人が拾っても紙くずとしてゴミ箱に捨てられる可能性が高く、最悪、破り捨てられているかも知れません。状況は絶望的です。

空港に着き次第、入国した時に通ったあたりのゴミ箱を、ガイドと2人で片っ端からあさりました。恥ずかしいなどと言っているバヤイではありません。でも結局、予想通り見つかりませんでした。

そこでダメモトで、イミグレーション管理官に事情を話し、提出してあるはずのビザの1片をコピーしてくれないか相談したところ(この辺は同行してきたガイドにフル稼働してもらいました)、何と以外や以外、あっさりとOKしてくれ、これを出国の時に出せば問題無いでしょうとまで言ってくれました。何とも拍子抜けした解決でした。何かと融通の利かないアバウトな中国、と言う先入観をKen爺は持っていましたが、どうもそうでもないようです。

そのあと、とんぼ返りで北京市内まで戻り、数カ所目かの観光スポットで団と合流し、なにくわぬ顔をして観光を続けたのは言うまでもありません。

さて、この話はここで終わりではありませんでした。ツアーも終盤に近くなったころ、Ken爺は最後の訪問地である上海のホテルに到着し、フロントでチェックインの手続きをしていました。一段落したころ、私にメッセージが届いているとのこと。

封筒を開けてみると、なんと、あの紛失したビザが1枚、入っているではありませんか!!メモによると、北京入国時の税関検査台に放置してあったとのこと。よくもまあ捨てられずに・・・、しかも我々の日程をチェックして先回りして、一体誰がどのようにして上海のホテルに送り届けたのか・・・・。謎は深まるばかりでした。

中国では我々外国人観光団を受入れて運行する旅行会社はすべて国営旅行社であることを考えれば、このようなことは驚くに値しないのかも知れませんが、それにしても中国の組織力を侮ってはいけないとつくづく思い知らされたツアーでした。メデタシメデタシ。
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第四十四首 旅券忘れて パートII

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実は、パスポート置き忘れ事件は1回ではありませんでした。Part Uがあるのです。

ヨーロッパ内をバスで移動するツアーの添乗をしていた時のことでした。ローマのホテルをチェックアウトしてミラノまでバスで移動する日の朝、Ken爺はバスの中でお客様にもう一度確認しました。

「皆様、ホテルに忘れ物はありませんね。パスポートなど、もう一度お確かめください。」

と、基本動作を行ってバスを発車させ、3時間も走ったころでした。Ken爺は突然あることに気がつき、顔面蒼白になりました。まさかこんな事が自分の身に起きるはずがない。きっとこれは夢に違いない、ああ神様、夢でありますように・・・・。

なんと、Ken爺は自分のパスポートをホテルのフロントに預けたまま来てしまったのでした。そのホテルはチェックインの時に添乗員のパスポートだけを預かり、滞在中ずっと保管しておくシステムになっていたのです。こんなことは初めてでしたので、Ken爺の基本動作マニュアルには入っていなかったのでした。

あれほどお客様に注意をした手前、まさか添乗員自身がパスポートをホテルに置き忘れたなどとは、口が裂けても言えず、かと言って、3時間も走ったあとでは事実を明かさずにこの危機を乗り切るなんてできそうもありません。絶体絶命です。

さて、Ken爺はどうやってこの危機を切り抜けたと思いますか? 答えは実に簡単でした。

まずは唯一の頼みの綱、同行していた観光ガイドに相談 ⇒ 急遽、次のドライブインでトイレストップをし、その間にホテルに電話、Ken爺のパスポートがフロントに保管されていることを確認 ⇒ ガイドが交渉した結果、日当を払えばホテルはデリバリーボーイを派遣し、汽車に乗ってミラノのホテルまで届けるがどうかとのこと。

選択の余地はありません。即実行してもらい、その日の夜の内にパスポートを回収しました。日当はべらぼうに高い金額でしたが仕方がありません。

翌日ミラノ観光をし、バスで国境まで走り、全員パスポートを提示して出国⇒ドイツに入国し、ミュンヘンに向かいました。

あとで知ったことですが、そのホテルでは同じトラブルがよく発生するので、業界では問題視されていたようでした。それを商売にしているのではないか、ガイドにもバックマージンが入るのではないか、などと余計な勘ぐりはしないことにし、まずは無事解決出来たことを素直にありがたく思い、二度と繰り返さないようにしようと密かに誓ったKen爺でした。
posted by Ken-G at 21:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第四十三首 旅券忘れて

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ある時、Ken爺は添乗業務をする朝、あれほど忘れないようにと慎重に用意していたお客様のパスポート25冊を、何とそのままそっくり家に置いたまま空港に向かってしまいました。電車の中で気がついたときは顔面蒼白でした。戻ったのではもう集合時間に間に合わないところまで来ていたからです。

こんな恐ろしいことが自分に起きるはずがない、これは何かの間違いだと必死で自分に言い聞かせましたが、恐ろしい現実は消えてはくれません。そしてどんなに考えても解決策は見つかりそうにありません。絶体絶命です。頭の中は真っ白でした。

そんな時、浮かんで来たのは、同じ失敗をしてツアーを台無しにし、罰として定年退職まで平社員で終わった大先輩の顔でした。これはもう神頼みしかありません。

「神様、一生のお願いです。この苦境をクリアーできたら何でもします。清く正しく生きます。路地裏での立ち小便も二度としません。百円玉でも拾ったら交番へ届けます・・・」

さて、その後どうなったでしょうか。

とりあえず次の駅で下車して家に電話 ⇒ 母が出る。家ではすでに事の重大さを認識して行動開始中 ⇒ 父がパスポートを持って自分の出勤時間の許すまでバイクでパスポートを運び、途中で義兄(Ken爺の姉の夫)にバトンタッチ ⇒ 義兄は午後から出勤なのでそのまま車で空港へ運搬中 ⇒ 「あなたはそのまま空港へ向かいなさい」、と言う頼もしい母の言葉。

地獄に仏と言うよりは、地獄に母でしょうね。子を思う母の力は仏にも神にも勝るようです。思えば今まで、苦しいときの神頼みをして実際に助けてくれたのは母だったのかも知れません。

空港では時間に充分間に合って義兄と落合い、コーヒーまでご馳走してもらい、予定通り出発したKen爺でした。お陰でそのツアー、トラブルもなく順調に運行し、お客様も大満足で終了したのでした。

さてKen爺、家族のありがたさをこの時ほど強く感じたことはありませんでした。人間、ひとりで生きていると思いがちですが決してそうではありません。家族をはじめ、多くの人に助けてもらいながら今日に至っていることを忘れないようにしたいものです。
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第四十二首 受験地獄

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Ken爺たち、もろ団塊の世代はいつも節目々々で過酷な競争が待ち受けています。例えば大学入試です。ただでさえ狭き門なのに、学生紛争が過激になり、とうとうあの東京大学の入試が中止となりました。

東大受験生は言うまでもなく、すべての受験生にとってショッキングな出来事でした。結果、東大受験生はワンランク下げた大学を受験し、その大学を狙っていた受験生の合格する確率はますます低くなったので、その下のランクの大学を受験することになり・・・・・・と、前代未聞の厳しい受験戦争が展開されました。

その頃のKen爺はさらにひどい状態でした。中三で父が他界し、高3の時、母が再婚した義父の事業が巨額な借金をかかえて倒産し、住んでいた土地家屋も人手に渡ってしまいました。

結局、両親が住み込みで旅館のまかない手伝いなどを転々とする度に、Ken爺も一緒について回り、高3の1年間に何と10回、引っ越しをしていました。最悪の状態での受験勉強でしたが、進学させてもらえるだけでもありがたいと思わなければならない状況でした。その上、東大受験中止ですから・・・。まさに踏んだり蹴ったり、弱り目に祟り目とはこのことではないでしょうか。

ここまで来たらもう神頼みしかありません。「一生のお願いです。何とかこの苦境を切り抜けて、大学受験に合格しますように!!!」

お陰様で何とか第二志望に合格することができました。まさに「捨てる神があれば救う神もあり」ですね。もしこの苦境がなかったら、普通の受験勉強をしていた多くの友人達同様、一浪していたことでしょう。人生ってどこかで帳尻が合うようになっているなと、強く感じたKen爺でした。
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第四十一首 落書き犯人

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この辺でしばらく「神頼み」をテーマに詠んでみます。

「苦しいときの神頼み」と言うことわざがありますが、「一生のお願い」と言って何回も使っているのではないでしょうか。実はKen爺もそのひとりです。

落書ってしたことがありますか。Ken爺が小学四年生の頃、何気なく担任の先生の机上にあったしおりに漢字の練習的な落書きをしたことがありました。

先生は「書いたのは誰だ!」と、軽く問いただしていたのでKen爺もすぐに名乗り出るつもりでいたのですが、何としたことか、つい言いそびれている内に、先生は本気で怒り出しました。とうとう、「犯人が名乗りでるまでは全員、昼食抜きだ!」とまで言い出しました。

ますます名乗りでにくくなり、こんなに追い詰められたのは初めてでした。絶体絶命です。田舎の小学校のことですからKen爺は優等生で、学級委員長、生徒会長・・と学業以外でも他の生徒の模範生、と言うことになっていただけになおさらです。

もしも、名乗り出たら、それまでの名声は地に落ちるのは明らかですし、それを喜ぶライバルもいたと思われます。それを思うと昼食無しとなった1時間の間、Ken爺の胸は張り裂けそうでした。絶対に白状すまいと決心したものの、当時話題となっていた嘘発見機などを導入して捜査されたらどうしよう、などと不安はつのるばかりでした。そこで神頼みです。

神様、どうかこのまま嘘をつき通し、小学校を卒業するまでの3年間、バレないで済みますように!・・・かなえてくださったら心を入れ替えて清く正しく生きることを約束します・・・・。

普通、悪いことをする時は、魂などを売るのを条件に、悪魔にお願いするものと思いますが、なんとまあKen爺は世間知らずと言うかおめでたいと言うか、なんのためらいもなく普通に正義の神様にお願いしていたのでした。

その頃の神様も鷹揚だったのでしょうか、結局、この願いはかなえられてバレずに済み、小学校も無事卒業しました。こんな危ない賭けは二度とするまいと堅く決心したKen爺でしたが、同時に、この出来事によって「Honesty is the best policy」ではないことも人生にはあると、強く感じていました。

その先生は昨年夏、80歳後半でこの世を去りました。Ken爺はあのとき以来昨年までの約50年間、1年も欠かさずに年賀状を交換してきました。さて、その間にあのこと、打ち明けたと思いますか?

もちろん、答えはノーです。
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2013年08月31日

第四十首 あの頃は海外旅行

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あの頃は、海外旅行と言ったら旅行会社が企画するツアーに参加して、添乗員に先導され、実際に現地に行くのが普通でした。

そのためには資金確保、出入国手続き、両替、傷害旅行保険加入、予防接種、遺言作成、エコノミー症候群、など、現地に着くまでには多くの面倒と困難が立ちはだかっていました。

それがなんとまあ、1千年たった今日では、海外旅行は相変わらず旅行会社主催ツアー参加型ではあるものの、現地に行くのはほとんどありません。参加者は旅行会社の運営するシアタードームに入って、手軽で安全にバーチャル旅行を体験をする仕組みです。

もともとこれは映画を高度に進化させたシステムを応用したもので、この頃の映画はトーキーに始まり、カラー、立体映画、シネラマへと発展して行った結果、行きついたところ限りなく現実に近いものとなっていました。

一方、Google Earth など、通信衛星を使って地球の隅々までナビゲートする技術や、絶叫型マシンの開発などとも相まって、これらがバーチャル旅行に発展するのは当然の成り行きでした。

更にアロマや催眠効果などで人間の五感を刺激する方法も併用することにより、旅行会社の個性を出すことも可能になりました。そして極めつけは、人が五感で感じたものを記録して、他の人の脳の中で簡単に再現できる技術が開発されたことです。

結果、今では「兼高かおる世界の旅」をテレビで観て羨むのではなく、彼女が感じたことを直接、彼女に成り代わってシアタードームの中で体験できると言うわけです。
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第三十九首 あの頃は目と耳で

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あの頃は、知識や教養を身に着けるという作業を、主として目とか耳といった、皮膚がちょっと特化しただけの頼りない器官で行っていました。

時には手で書いて覚えたり、口に出して復唱したりして脳へのインプットの効率化を図っていましたが、いずれにしてもそのような低効率な手段でしたので、完了するまでには最低でも9年から12年、高レベルを目指すには16年から18年もかかっていました。

人生の3分の1、それも最も多感な8歳から25歳の壮年期がこのような見習い期間、準備期間に充てられ、若者は毎日黙々と脳に記憶する作業に追われて過ごしていました。にもかかわらず、せっかく苦労してインプットした知識も時間が経てばザルのように記憶の外にこぼれ落ちて消えてしまうのが常でした。

それがなんとまあ、1千年経った今日、脳への記憶はUSBメモリ端子を使って必要なものを必要な量だけいつでも無料で瞬時にインストールすることができるようになっています。脳の容量があまり大きくない人は、外付けのメモリを補聴器のように差し込んで増設することも可能です。

従って今日では脳は、記憶装置として使うことはほとんどなくなり、その分、演算処理装置としての機能が強化されました。

結果、人間は身の回りの膨大な情報を分析して瞬時に必要な結論を導き出したり、意識を集中させて遠隔地の人とテレパシーで交信したり、意思の力で物を動かしたりすることが普通にできるようになりました。、スクールに通って特訓を受ければ、だれでも空中浮遊や瞬間移動などができるようになっています。あの頃はそういうのはSFの世界にしかありませんでしたが。
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第三十八 あの頃は言葉

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あの頃は、使う言葉が国ごとに違っていました。同じ人間なのにまるで犬や猫と話ができないのと同じように言葉が通じませんでした。

交通や通信手段の目覚ましい発達により、世界規模の交流が密になるにつれ、次第々々に言葉の融合が見られたものの、まだまだ「通訳」と言う独立した職業が成り立つくらい、言葉の障壁は厚く存在していました。

それがなんとまあ、1千年経った今日、特に超音速旅客機やリニアモーターカーなどが普及してからは、地球のどの地点にでも短時間で簡単に行けるようになり、言葉の融合が一気に進みました。

結果、世界の言語は一つになり、世界中どこの人とでも意思疎通ができるようになりましたが、反面、あまりにも急速な変化に追いつけない親の世代、まして、もうひと世代上のお爺ちゃんやお婆ちゃんとは、同じ地域でありながら通訳なしでは意思疎通ができない、と言う奇妙な現象がどの国にも起きています。
posted by Ken-G at 17:32| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第三十七首 あの頃は生鮮食品

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あの頃は、まだまだ生の魚や野菜を買って来て調理して食べることが主流でした。わざわざ店まで出かけて行き、実際に自分の目で見て手で触って鮮度などを確かめ、相応の値段かどうか判断して買うというのが主に主婦の役割でした。

確かに当時でも冷凍/解凍技術の発達と平準化により、冷凍食品が市場に出回り、老人で動けない人には、材料の宅配サービスなどが普及しつつありましたが、基本的には自分で食糧を入手して来て調理して食べる行為は原始時代とあまり変わりありませんでした。

それがなんとまあ、1千年経った今日、食べるという行為そのものが一般的ではなくなってしまい、「宇宙食」と言われるたゼリー状の食べ物で効率よく栄養を摂取するような時代も終わり、濃縮栄養液を直接血管に注射するようになりました。

結果、生ものを食べて黴菌に感染するということことはなくなりましたが、生鮮食品の鮮度を見極める方法や、その材料の調理法などを知る人もいなくなりました。今の人はおそらく、かつおを生のまま刺身で、擦りおろしにんにく醤油を付けてで食べるなど、考えるだけで吐き気をもよおすか卒倒してしまうでしょう。
posted by Ken-G at 17:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第三十六首 あの頃は注射

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あの頃は注射は、病気治療目的での投薬や血液採取に使われたのであって、栄養補給はもっぱら「食べる」ことによって行っていました。

確かに宴会や食事会といった、食べるのを楽しむ行為も存在しましたが、基本的には食事は体に栄養を補給するためのものでした。食べることでその日の疲労回復をはかり、翌日の活動のためのエネルギーを充電していました。「食事を済ませる」と言う言葉もあったくらい、生活に密着した行為でした。

それがなんとまあ、1千年経った今日、食べることで栄養補給する人はほとんどいません。サプリメントで栄養を補給する時代も終わり、今は月に1度通院して濃縮栄養液を直接血管に注入してもらうやり方が主流です。自分で簡単に注射できる器具も普及しています。

勿論そういう生活習慣が人体、特に顎の発達(萎縮)に及ぼす影響は計り知れないものがあり、それは博物館に陳列されているあの頃の人間の頭蓋骨を見れば一目瞭然です。

現代人には鼻の下に、主に水分の取り入れ口として機能する小さな収縮する穴がありますが、あの頃の人間にははそこに、大きく開閉する「口」と言う器官がありました。そしてその入り口には食べ物を噛みちぎったり磨り潰したりする「歯」と言うものがぎっしり生えていました。早い話、あのクジラやサメ、犬や猫と同じです。

今の基準からすれば、そのような動物本能むき出しな、禍々しい器官は人前で隠すのが当然と思われますが、なぜか当時の人々にとっては、口をニッと開いて歯を見せることは、相手に対し友好の意を表し、安心感を与える行為となっていました。なので人々はこの歯をせっせとブラシで磨き、真っ白にしておくのが習わしでした。そして女性などは隠すどころか、この口を赤く塗って強調したりしていました。今の人は想像に苦しむでしょう。
posted by Ken-G at 17:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第三十五首 あの頃は夫や妻

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あの頃は、普通の人は永遠の愛を誓って結婚し、夫と妻となった以上は死ぬまで連れ添うのが美徳とされていました。信じられますか?

当時、終身雇用制度が崩壊し期間限定雇用に置き換わって行きましたが、結婚は基本的には終身結婚が前提でした。確かに離婚率がどこまでも高くなると同時に、終身結婚に自信が持てなくて独身を通す男女も加速度的に増えて行きましたが、それでも結婚した人は「勝ち組」として優越感を持ったり、離婚すると「ばついち」とかで、なにか不始末をしでかしたような表現をされたりもして、なんともすっきりしない時代でした。

それがまあ、1千年経った今日、結婚は期限付きで気軽に行うのが当たりまえになっています。コンパで「何飲む?、とりあえずビールで?」と同じ乗りで、「結婚する?、とりあえず2年で?」てな具合です。

当然、それはパートナー的な関係であって夫婦と言う概念はありません。夫や妻と言う言葉はすでに死語になっています。子供はどうしているかと言うと、当然ながら(?)子育ては社会全体で取り組む事業(?)とされ、動物にみられるような、命がけで子育てをする親子関係が人間には希薄になっています。
posted by Ken-G at 17:13| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第三十四首 あの頃はリングで

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あの頃はスポーツと称して、実際に人間同士がリングやスタジアムで戦っていました。野球、サッカー、ゴルフ、バスケット・・・・などは対戦としては穏やかなほうでしたが、ボクシングやレスリングなど、実際に相手を殴ったり、蹴ったり、投げたり、抑え込んだり、突き飛ばしたりして血が出るくらいの怪我をさせるようなスポーツもあり、それがまた熱狂的な人気を博していました。

その昔は大きなスタジアムで大勢の観衆の見ているところで、人間の奴隷をライオンやトラなどの猛獣と戦わせて喜んでいた時代もあったそうですが、今から見るとボクシングもレスリングもそれと大して変らないような気がしませんか。

それがまあ、1千年経った今日、相変わらずバーチャル戦争体験、バーチャル格闘技はなくなるどころか増々過激になる一方です。まして人間同士が直接戦うことをやめ、ロボットや映像によるバーチャル体験(「ストリートファイター」など)となってからはなおさらです。

結果、人々は体を鍛える必要がないので体力が衰えて来ている反面、過激な攻撃をしても実害がないので、平気で残酷なことができる精神の持ち主が多くなっているような気がします。
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第三十三首 あの頃は

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あの頃はわざわざビーチに出かけ、男は海水パンツ1枚、女はセパレーツなどと言った露出度の高い水着を着て、太陽光を直接浴びて、紫外線でこんがりと日焼けして帰るのが流行っていました。今の人はとても信じられないでしょうね。でも本当です。

子供たちはみんな夏休みに1〜2回は近くの海水浴場に連れて行ってもらい、背中が火ぶくれになって、ヒリヒリして痛くてお風呂にはいれなくなるどに日焼けして帰ったものでした。家族などに背中の皮を剥いてもらったり、学校に戻ったらだれが一番日焼けしているか競うのも楽しみの一つでした。

それがなんとまあ1千年経った今日、日焼けが発癌に直結することが判明してからは、裸で紫外線を浴びに海水浴に行くなどもってのほか、日常生活まで地下で暮らすようになっています。

確かに発癌率は激減したものの、あの頃の健康のシンボルだった褐色に日焼けした肌の人は見られなくなり、もやしのような青白い肌の人ばかりとなりました。あの頃だったら、外に出ず家にこもってばかりで青白い顔をしている子は、「青なり(青なり瓢箪のこと?)」などとあだ名をつけられてからかわれたものでしたが・・・。
posted by Ken-G at 17:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第三十二首 あの頃は生身で

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あの頃は太陽がギラギラと禍々しく燃えている地上で人間は、なるべく肉眼では直接太陽を見ないように気を付けながら、ちょっとした植物繊維の衣類を身に着けただけ、ほとんど生身で紫外線にさらされて生きていました。まったく想像を絶する世界ですよね。

さすがに度重なる科学実験等でオゾン層が破壊され、より強烈な紫外線を直接浴びるようになってからは、発ガン率が上がり、問題になりつつあったものの、まだまだ生身で太陽にさらされて生活するのが普通でした。

それがなんとまあ、1千年経ち、オゾン層が完全になくなった今では、人間は太陽光が当たらない地下都市を発達させ、そこで日常生活をするようになりました。地上へは特殊な仕事や観光見学目的のツアー参加者などが、宇宙服に身をつつんで行くだけとなっています。勿論、通常の移動手段は網の目状に発達した地下鉄で、外国へも手軽に快適に行けるようになっています。

あの頃の人たちに備わっていた強靭な皮膚はもう今の人にはなく、生皮を剥がれたような状態、もしも生身で太陽光を浴びたら、一瞬で皮膚は大火傷、ケロイド状態になるものと思われます。
posted by Ken-G at 17:08| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第三十一首 あの頃は仕事

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今は30XX年。1千歳を超える高年齢になったKen爺は、やたら懐古的になっています。そこで今回はいっそのこと2000年代初期の頃をふり返ってみることにしました。

あの頃は普通の会社員は、いわゆるラッシュアワーと呼ばれた時間帯に、すし詰め状態の満員電車で会社に毎日通っていました。

入りきれずにドアからはみ出している人を、駅員が無理やり押し込んでドアを締め、発車する光景が普通に見られ、通勤地獄と言う言葉もあったほどでした。動物だったら間違いなく発狂して死んでいたでしょうね。

それがなんとまあ、1千年経ち、ネットワーク化が高度に進んだ今では、事務職は家で仕事をするのがあたりまえ、会社へは月1回程度行けばすむようになりました。電車は遠隔地から快適な個室でコーヒーなどを飲みながら、パソコンで新聞やメールをチェックしながら、小旅行気分で・・・・。

あの頃の人たちに備わっていた強靭な神経と丈夫な足腰はもう、今の人にはなくなっているものと思われます。
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2013年08月26日

第三十首 石松は鎌倉幕府

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物事を大きくはずす人はたくさんいますが、鎌倉幕府の創立年を2千年も未来だとするのは、この人ぐらいしかいないのではないでしょうか。

さて、石松シリーズはこの辺にしておくことにし、次は30XX年代まで長生きしたKen爺が、2000年代初期を振り返って一言、という設定でやってみます。
posted by Ken-G at 20:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第二十九首 石松はタクシー

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運転手、「わあぁ・・・、ど、どっちなんだよう〜」。運転手泣かせ。事故にもなりかねません!
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第二十八 石松は土木作業員

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若い土木作業員に給料の額を聞いた石松は、いかにその人たちが恵まれているかをコンコンと説いたそうです。

聴いているうちに何かヘンだと思った土木作業員、辛抱して最後まで聴いていたところ、石松にとって土木作業員とは、土曜日と木曜日だけ働く人たちだったのだそうです。

確かに週2日で週5日分の給料がもらえたら、恵まれすぎていますよね。
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第二十七首 石松は座右の銘

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「俺は目だけはいいんだ!」と自慢を装って実は謙遜の奥ゆかしさを醸し出したつもりのようですが、そもそも質問の意味をとんでもなく取り違えていることにはまったく気づいていないところも、この人らしくていいですね。
posted by Ken-G at 20:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第二十六首 石松は北斗七星

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星って、この辺で観るのとそうじゃない所で観るのとでは、違った方向に見えるんでしたっけ?

何光年かかってもなかなか到達できないほどの距離を、アッサリとスカイツリーの高さなどと同じに扱ってしまう、この人の大胆さ、大雑把さ、無神経さ(?)は、お見事!としか言いようがありませんね。
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第二十五首 石松はベルト

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自意識過剰!!!
posted by Ken-G at 20:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第二十四首 石松は松山千春

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石松は、最大限の賛辞を与えてやったつもりでいたようですが、一流歌手を自認していると思われる松山千春にとって、これほどの屈辱はなかったのではないでしょうか。

後日談は聞いておりませんが、その後どうなったのでしょうね。
posted by Ken-G at 20:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第二十三首 石松はラッキー

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これもただただ、石松らしい発言です。
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第二十二首 石松はボクシング

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結局、石松はボクシングに出会って人生観、20度しか変わっていないということなんでしょうか。なんなんでしょうか。
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第二十一首 石松は癒やし系

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いかにも天然が色濃く入っていると言われる石松らしい反応ですね。

石松名言集的な本を本屋で立ち読みしたところ、とても面白かったので、短歌にしてみます。
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第二十首 火山口

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ほどなくして日本は鹿児島県、桜島上空にも巨大な顔が現れました。

その口は、火山の噴煙をフッとひと吹き、ついでに遊覧船をひっくり返し、天空から火口にまっすぐ降りてきたストローをくわえたかと思うと、ゴオォーっと言う轟音とともに一気にマグマを吸い上げるのでした。

さて、ここまでのところはいかがでしたでしょうか。この続きはどうなるかKen爺にもわかりません。そのうち必ず続編をアップすることにして今は中断し、2号館では「石松」シリーズから行ってみます。

マグマ額.jpg
posted by Ken-G at 11:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第十九首 食べ頃に

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太平洋の島の上空に不思議な物体が出現しました。

「ああぁ〜! な、なんだあれは!

宇宙船、UFO、いいえそれは天空を覆うほどに巨大な人間の顔でした。口のあたりは手が届きそうなほど近くはっきり見える一方、目や耳などは雲に覆われ、顔の輪郭などは遠い空のかなたに霞んでほとんど見えません。

驚愕のあまり腰を抜かす島民をよそに、顔はますます近づき、とうとう口が海面に触れると同時に、ものすごい勢いで海水が口に吸い込まれ、水平線はあっと言う間に地平線に変わってしまいました。

Kyojin額 .jpg
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第十八首 原子力

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今回の東北大震災で、原子力発電は危険であることが証明されました。太陽熱を利用したエネルギーの開発が望まれます。

私の好きな、アーサー・C・クラークの小説、「3001年終局への旅」では、地球の歴史を振り返る場面で、太陽エネルギーが無尽蔵に使えるようになった結果、使い過ぎて地球が灼熱地獄一歩手前まで行ってしまったことが描かれています。考えさせられますね。

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posted by Ken-G at 11:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第十七首 太陽は

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星はそれぞれ特徴がありますので、ちゃんと相応しい食べ方をしないと、せっかくのおいしさも半減してしまいます。

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posted by Ken-G at 01:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第十六首 温暖化

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地球の温暖化が順調に進み、やがて地球全土が水で覆われるまで熟したら、まさに食べ頃、巨人族が収穫にやってくるでしょう。

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第十五首 口の中

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あの黄色い月は、実は巨人族が好んで食べる飴なのです。

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第十四首 北極と

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地球をはじめ太陽系の惑星は、実は巨人族が運営する果樹園で採れる果物だったのでした。

巨人族が定期的に調査に来て、時々つまんで食べてみることもあります。

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第十三首 神戸牛

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個室で目の前の鉄板で専用シェフに調理してもらってすぐ食べる・・・・夢のようなディナーでした。

夫婦で旅行に行かずに、家族で豪華食事にして本当に良かったと思いました。この時ばかりは、子供たちからも尊敬の眼差しで見られているように感じたのは気のせいだったでしょうか。

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第十二首 夫婦して

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いろいろ検討した結果、旅行券→ホテル宿泊券→ホテル食事券というふうにしてもらい、10万円で家族4人で有名ホテルでディナーをすることにしました。

ひとりあたりなんと25,000円の夕食です。最初で最後の豪華ディナーでした。はたして子供たち、感じてくれたでしょうか

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第十一首 勤続の

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8年前、勤続30周年記念で会社から10万円の旅行券をいただきました。どこに行こうかいろいろ検討しましたが、どう考えても子供2人を置いて夫婦して旅行に行くと言う気になれませんでした。
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2011年06月22日

第十首 子育てし

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自分で子育てをしてみて初めて親の気持ちがわかるというのは、いつの時代も、どこの世界も同じ、永遠のテーマなのでしょうか。

この歳になっても未だに、子に対する親の気持ちの奥深さを思い知らされることがあり、今までわかったつもりになっていた自分の傲慢さが悔やまれます。でも順送りですから仕方がないのかも知れません。

さて、1号館はわりと素直にまとめてみましたがいかがでしたでしょうか。2号館からは少し趣向を凝らしてやってみます。よろしければこれからも時々お立ち寄りください。

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KenGの母作:南天
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2011年06月21日

第九首 巻き爪も

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ご存じ、万葉集/山上憶良の、「銀(しろかね)も、金(くがね)も玉も、なにせむに、勝れる宝、子にしかめやも」をもじってみました。痔の痛さは痔主にしかわかりませんよね。

憶良さんのこの歌、わが子を思う親の気持ちを見事に表現しているとしてあまりにも有名ですが、この人の歌でこんなものがあるのをご存じでしたか。

若ければ、道行き知らじ、賄(まひ)はせむ
下方(したへ)の使ひ、負ひて通らせ

私の子は幼くして死にましたので、
あの世への道行きを知りません。
あの世からのお使いの人、どうぞお礼はしますので
背負って通してやってくれませんか。

まさに、涙湧きくるですね。そんな憶良さんの格調高い歌を勝手にもじってしまってごめんなさい。口直しに紫陽花の水墨画をどうぞ。

紫陽花額.jpg
KenGの母作:紫陽花


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2011年06月19日

第八首 あなうれし

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と言うわけで酒が飲める日は、家の近くにたどり着く頃までにはもう、何をどんなふうに飲むか大体決めています。「今日は薄ら寒いので日本酒を燗でキューッと、肴はアレがあったはず・・・」などと。

すっかり胃袋もその気になって帰ってみるとあぁ〜っ!! なんということでしょうか。日本酒が切れているではありませんか!。ヤォ〜〜ッ!!!

ウィスキーや焼酎があるとはいえ、一旦その気になった胃袋はそう簡単には許してくれません。絶体絶命、この世も終わり!思えば短い人生でした・・・( ← 60歳 (^_^)/ )

そんな時、すまして床下収納から買い置きの日本酒を出してくる女房の姿は、まさに神様、仏様、岡田様・・・!でした。

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KenGの母作:あざみ
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第七首 休前日

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好きなお酒と末永く付き合っていくためには、ドクターストップがかかる前に、自発的に酒を控え目にしようと、休前日&休日だけ飲むと言うルールを自分に課してからだいぶ経ちました。

今では金曜日の帰路は気もそぞろ、電車を降りて家の近くまで歩いて来ると、いつの間にか小走りになっています。

数メートル前ではほとんど駆け足状態、そして最後は、あぁ〜っ!!、疾走状態で一気に家に駆け込んで・・・。

このルール、風前の灯かも知れません・・・。

菖蒲額.jpg
KenGの母作:菖蒲
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第六首 あなおいし!

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なにがおいしいかって、今年採れた国産のニンニクをすりおろし、濃いめの醤油で溶き、それに今年初物のかつおの刺身をたっぷり浸して、炊き立てのご飯に載せ、ふぅふぅ言いながら食べる時ほど、おいしいと感じることはありません。

今年は実家のいわき市では原発の影響で、かつおが水揚げされないとのこと、残念!!

桂林額.jpg
KenG母作:桂林
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2011年06月18日

第五首 ささやかな

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いざ、親孝行しようと思ってもなかなかできないものです。

なので、いっそ何もしなくて、ただ会いに行き、母の手料理をごちそうになったりして甘えてくるのも一つの孝行なのでは・・・などと身勝手なことを考え、実行している今日この頃です。

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KenGの母作:藤
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第四首 たらちねの

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久しぶりに家族そろって鍋を囲む夕食の時など、ふと、ここに母も居たらいいのにと思います。孝行できるのに・・・・と。

でも母にとってはここに住むよりも、知人、友人に囲まれながら自分の家に住むほうが幸せなこともまた事実です。

KenGとしては家族を置いて田舎に帰って住んでも母の厄介になるばかりで、何の役にも立たないことも明らかで、如何ともしがたいところです。

椿額.jpg
KenGの母作:椿




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第三首 故郷は

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KenGの母は今年84歳になりますが、元気で一人で田舎に住んでいます。家をカラオケ教室の会場に提供したり(勿論母も生徒です)、若い人にワラジの編み方を教えたり、水墨画を勉強したり・・・と、いまだに前向きに生きています。

母の姉妹なども近くに住んでいるので心配はないと本人はいうものの、やはり元気にやっているかどうか、長男のKenGとしては何かにつけてとても気になるところです。

さて、前回から掲載している水墨画はすべてKenGの母の作品ですが、見るたびに母の住んでいる故郷を懐かしく思い出します。

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KenGの母作:森
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2011年06月16日

第二首 やうやくに

やうやくに額.jpg

長女が生後2年になるからない頃だったでしょうか。やっと片言しゃべるようになっていました。KenGも働き盛りで毎晩遅くまで残業し、帰宅するともう子供たちは眠っていました。

朝もぎりぎりの時間で出勤するKenGは、いつしか出掛けにいつも子供たちの頭をなでながら、「行ってくるぞ〜!」と声をかけるようになっていました。

今でも物事をあまり深く考えないで発言することがある(?)長女ですが、当時、それでも一生懸命その場に相応しい、思いやりの言葉をお父さんに返そうとして咄嗟に叫んだのが、「また来てね〜っ!」でした。

娘をだっこしていた女房と顔を見合わせ、思わず吹き出してしまいました。その娘も今年大学を卒業して無事就職、一人前の社会人になろうと苦労しているようです。まさに光陰矢のごとしです。

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KenGの母作:民家
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第一首 朝五時に

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これから思いつくままに一筆書いていこうと思います。まず初めは、今後のためもあり女房に捧げます。

KenGの女房は3年間、毎朝5時に起きて黙々と朝食と昼の弁当を作り、片道2時間半かかって我孫子から横浜へ5回も乗り継いで通勤するKenGを送り出してくれました。そして自分も働きに出て行きました。

おかげでKenGは、自発的な早期退職を促す会社のリストラ(?)を何とかかわすことができました。東京勤務に戻ったときはKenGは言うに及ばず、女房もさぞかしほっとしたことでしょう。

遠距離通勤最終日の送別会で頂いた花束は正直、電車で持ち帰るのは照れくさかったのですが、頑張って持ち帰り、女房にあげたところ、さすがに気丈な女房の目にも光るものがありました。

上の文はその時のものです。今から8年前、KenGが53歳の頃でした。昨年60歳で同社を定年退職し、今はわりとのんびりした生活を楽しんでいますが、これを見るとあの頃のほっとした気持ちがよみがえってきます。
posted by Ken-G at 02:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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